きのみきのまま

女子大生の読書備忘録

『蜜蜂と遠雷』恩田陸

文庫化されたことと映画化も重なって読んでみました。実は映画を先に見てしまって、その後本屋に寄って帰りました。ピアノを弾ける人に昔から憧れているからか、音楽を題材とする作品はかなり好きです。

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

恩田陸(1964~)

宮城県生まれ。92年『六番目の小夜子』でデビュー。

あらすじ

3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

[感想]

松岡茉優さん主演の映画を観て、引き込まれる演技と美しい音楽に魅せられました。まさに「特等席でコンクールを観ているような映画」で、そういう音響を体感できる作品になりました。それだけでなく、原作の美しい音楽描写の中にある何気ないところも印象的でした。例えば「日本人が言う『自分らしく』というのは、他者に対するコンプレックスや自信のなさやアイデンティティの不安から逃れようとして口にするものである」(上、p.232)という部分に、なるほどと思わされました。登場人物に順位をつけることに苦労されたようで、私自身映画で誰が優勝するのかと観ていました。小説を読みながら、ずっと脳裏にピアノが鳴っており、音楽を聴きたいという切望感が募る経験をしたのは僥倖でした。

『コンビニ人間』村田沙耶香

芥川賞受賞作です。主人公は、コンビニ店員として働く事で社会の歯車になれていることを実感できており、仕事もやりこなします。本書が、訴えかけてくるものは、普遍的なものであるような気がしました。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

村田沙耶香(1979~)

千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。2003年「授乳」が第46回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。

あらすじ

6歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが……。現代の実存を問い、正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。

[感想]

冒頭から引き込まれ一気に読んでしまいました。徹底的に周りに合わせ、普通であろうとする、36歳女性 コンビニ店員の主人公、古倉。対して「この世界は間違っている」と毒づく男性、白羽。古倉が価値を置いているのは「コンビニで働くことで、普通の人間っぽく振る舞えるようになる」ことです。対して、白羽は「結婚して起業する」「誰からも文句を言われない生活をする」ことを目標としています。世間の一般人とは異なる、特別な自分になることで、今まで自分を馬鹿にしてきた人たちを見返すことに価値を置いています。自分の周りにもこういう人間いるなと思いつつ、私自身にもそういう一面があると感じながら読み進めました。作中ではコンビニに喩えられていますが、学校であるかもしれないですし、会社だったりするかもしれません。普通とは何か考えさせられました。

『ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ

人間は、ただアルゴリズムで、あるパターン則ってデータを処理しているだけらしいです。将来、人工知能が人間の能力を凌駕するようになったとき、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊するのでしょうか?

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ユヴァル・ノア・ハラリ(1976~)

イスラエル人歴史学者。著作『サピエンス全史』(小社刊)は世界的なベストセラーとなった。

1.現代の契約

「現代というものは取り決めだ」(p.50)

私たちは、生まれた日にこの取り決めを結び、死を迎える日までそれに人生を統制される。

2.人間至上主義革命

「中世のヨーロッパでは、代表的な知識の公式は、知識=聖書×論理だった」(p.50)

「科学革命は完全に異なる知識の公式を提示した。知識=観察に基づくデータ×数字だ」(p.51)

科学的な知識の公式のおかげで、天文学や物理学や医学を始め多くの学問領域が驚嘆するべき大躍進を遂げた。この公式の大きな難点は、価値や意味に関する疑問には対処できないこと。中世の有識者は盗んだり殺したりするのは悪いことだとか、人生の目的は神の命に従うことだとか、絶対に確信を持って断言することができた。聖書にそう書いてあるからだ。人間社会はそのような価値判断なしでは生き延びられないが、科学者には論理的判断を下すことができない。

3.研究室の時限爆弾

「科学は、自由意思があるという自由主義の信念を崩すだけではなく、個人主義の信念も揺るがせる」(p.114)

重要なのは、私たちには生まれてから死ぬまで(そして、ことによるとその先まで)変わることのない単一のアイデンティティがあるという感じをつねに維持すること。これが、私は分離不能の個人である、私には明確で一貫した内なる声があって、この世界全体に意味を提供しているという、自由主義の疑わしい信念を生じさせた。

4.知能と意識の大いなる分離

「大衆の時代は終わりを告げ、それとともに大衆医療の時代も幕を閉じるかもしれない」(p.186)

日本や韓国など、テクノロジーが進歩した国々では出生率が低下している。そこでは、減る一方の子供たちを幼少期から教育するために莫大な資金が投じられており、その一方でインドやブラジルやナイジェリアのような巨大な発展途上国がある。一部のエリート層は、次のように結論する可能性があると指摘する。無用な貧しい人々の健康水準を向上させること、あるいは、標準的な健康水準を維持することさえ、意味がない、一握りの超人たちを通常の水準を超えるところまでアップグレードすることに専心するほうが、はるかに賢明だ、と。

5.意識の大海

「あらゆる意味と権威の源泉として、欲望と経験に何が取って代わりうるのか?〔中略〕その候補とは、情報だ」(p.208)

最も興味深い新興宗教はデータ至上主義で、この宗教は神も人間も崇めることはなく、データを崇拝するという。

6.データ数

「データ至上主義は、人間の経験をデータのパターンと同等と見なすことによって、私たちの権威や意味の主要な源泉を切り崩し、一八世紀以来見られなかったような、途方もない規模の宗教革命の到来を告げる」(p.236)

ロックやヒュームやヴォルテールの時代に、人間至上主義者は「神は人間の想像力の産物だ」と主張した。今度はデータ至上主義が人間至上主義者に向かって同じようなことを言う。一八世紀には、人間至上主義が世界観を神中心から人間中心に変えることで、神を主役から外した。二一世紀には、データ至上主義が世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、人間を主役から外すかもしれない。

[感想]

本書は、二一世紀には人間は不死と至福と神性を獲得しようとするだろうと予測することから始まります。そして、人間至上主義の夢を実現しようとすれば、新しいポスト人間至上主義のテクノロジーを解き放ち、それによって、ほかならぬその夢の基盤を損なうだろうと主張されています。サピエンスは自らをアップグレードし、神のような力を持つホモ・デウスとなることを目指すが、かえって墓穴を掘る結果になるというのが、著者が提示する一つの予測です。私はSF映画が好きなのか、とても興味深く読んでしまいました。十年後、二十年後、どのような世界になっているのか、想像するのは怖くもあり、楽しみでもあります。

『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ

話題になっていたので読んでみました。最近ではスマホが登場して人々の生活に欠かせないものになったり、目まぐるしく世の中が変化していっています。著者は、格差が想像を絶するものになるといいます。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ユヴァル・ノア・ハラリ(1976~)

イスラエル人歴史学者。著作『サピエンス全史』(小社刊)は世界的なベストセラーとなった。

1.人間が新たに取り組むべきこと

「この数十年というもの、私たちは飢饉と疫病と戦争を首尾良く抑え込んできた」(p.10)

21世紀初期の今、平均的な人間は、干魃やエボラ出血熱やアルカイダによる攻撃よりも、マクドナルドでの過食が元で死ぬ可能性の方がはるかに高いそうです。そして、人間は不死を目指して真剣に努力する見込みが高いという。

2.人新世

「およそ四十億年前に生命が登場して以来、一つの種が単独で地球全体の生態環境を変えたことはなかった」(p.94)

地球の歴史は更新世、鮮新世、中新世のような年代区分に分けられていて、私たちは完新世に生きている。筆者は、過去七万年間は、人類の時代を意味する人新世と呼ぶほうがふさわしいかもしれないという。それは、この期間にホモ・サピエンスは地球の生態環境に他に類のない変化をもたらす、最も重要な存在になったと考えているからだ。

3.人間の輝き

「サピエンスが世界を支配しているのは、彼らだけが共同主観的な意味のウェブーーただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブーーを織り成すことができるからだ。」(p.187)

著者は、このおかげで、十字軍や社会主義革命や人権運動を組織することができるという。猫やその他の動物が客観的な領域に閉じ込められ、もっぱら現実を描写するためにコミュニケーションシステムを使っているのに対して、サピエンスだけが、そのような架空の存在を想像できる。

4.物語の語り手

「虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる」(p.219)

著者は、二一世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろうと予測する。

5.科学と宗教というおかしな夫婦

「現代社会は人間至上主義の教義を信じており、その教義に疑問を呈するためにではなく、それを実行に移すために科学を利用する」(p.244)

宗教は何をおいても秩序に関心がある。宗教は社会構造を創り出して維持することを目指す。科学は何をおいても力に関心がある。科学は、病気を治したり、戦争をしたり、食物を生産したりする力を、研究を通して獲得することを目指す。科学者と聖職者は、個人としては真理をおおいに重視するかもしれないが、科学と宗教は集団的な組織としては、真理よりも秩序と力を優先する。したがって、両者は相性が良いという。

[感想]

印象深かったのは、「私たちが物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう。すると、『企業に莫大な収益をもたらすため』、あるいは『国益を守るため』に戦争を始めてしまう。企業やお金や国家は私たちの想像の中にしか存在しない。私たちは、自分に役立てるためにそれらを創り出した。それなのになぜ、気がつくとそれらのために自分の人生を犠牲しているのか?」(p.219)という部分です。宇宙飛行士である毛利衛さんの「宇宙から国境線は見えなかった」というコメントを思い出しました。まだモラトリアムの時期にある大学生の私ですが、これからの人生について考えたりしました。

『世界から猫が消えたなら』川村元気

私のお気に入りの一冊です。川村さんの初小説とのことですが、とても引き込まれてあっという間に読み切ってしまいました。佐藤健さん主演で映画化もされていますが、原作である本著を読んでほしいです。

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

川村元気(1979~)

『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』 などの映画を製作。

あらすじ

郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたり暮らし。そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。その男は自分が悪魔だと言い、奇妙な取引を持ちかけてくる。「この世界からひとつ何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得ることができる」僕は生きるために、消すことを決めた。電話、映画、時計……そして、猫。僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。

[感想]

挫折や喪失の中で人生の意味を自分の頭で考えもがいた人にしか書けない作品だと思わされました。なぜなら「不自由さと引換えに決まり事があるという安心感を得た」「家族はあるものではなくするものだった」などのフレーズが散りばめられていましたからです。生きたかったけど生きられなかった人生を後悔の中で思いながらも、自分の人生の尊さに気付きます。自分の余命を増やす代わりに、世界から何かを消す契約を悪魔と結ぶ喪失感は命より重いかもしれないという話です。大人に近づくたび、歳を取るたび、多くのものを失って生きているような気がします。私たちも悪魔と契約してるのかもしれないですね。