『チャンス』太宰治
今度、小栗旬さん主演で映画がありますね。この作品では彼の恋愛論が語られていています。青空文庫にもありますし、短いので興味ある方は一度見てみると面白いと思います。核心をつくような内容でした。
- 作者: 太宰治
- 出版社/メーカー: 青空文庫POD
- 発売日: 2016/07/31
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
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太宰治(1909~1948)
自殺未遂や薬物中毒を克服し、第二次世界大戦前から戦後にかけて多くの作品を発表。
1.恋愛の定義
「人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚こびるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。」
このように冒頭が始まります。
太宰治の机の傍の辞苑をひらいて見たら、
「性的衝動に基づく男女間の愛情。すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛」
太宰治がもし辞苑の編纂者だったならば、
「恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。すなわち、性慾衝動に基づく男女間の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊なる性的煩悶。色慾の Warming-up とでも称すべきか」
2.嫌いな女シリーズ
「『もののはずみ』とか『ひょんな事』とかいうのは、非常にいやらしいものである。それは皆、拙劣きわまる演技でしかない。稲妻。あー こわー なんて男にしがみつく、そのわざとらしさ、いやらしさ。よせやい、と言いたい。こわかったら、ひとりで俯伏したらいいじゃないか。しがみつかれた男もまた、へたくそな手つきで相手の肩を必要以上に強く抱いてしまって、こわいことない、だいじょぶ、など外人の日本語みたいなものを呟つぶやく。舌がもつれ、声がかすれているという情無い有様である」
ぶりっ子女子は嫌いな様子。
「急停車のために私は隣りに立っている若い女性のほうによろめいた事があった。するとその女性は、けがらわしいとでもいうようなひどい嫌悪と侮蔑の眼つきで、いつまでも私を睨にらんでいた。たまりかねて私は、その女性の方に向き直り、まじめに、低い声で言ってやった。 「僕が何かあなたに猥褻な事でもしたのですか? 自惚れてはいけません。誰があなたみたいな女に、わざとしなだれかかるものですか。あなたご自身、性慾が強いから、そんなへんな気のまわし方をするのだと思います」
自意識過剰女子は嫌いな様子。
[感想]
要約すると、恋愛とは非常に恥かしいものであると、太宰治がひたすら主張する話です。興味深いところは「恋愛チャンス説は、淫乱に近い。それではもう一つの、何のチャンスも無かったのに、十年間の恋をし続け得た経験とはどんなものであるかと読者にたずねられたならば、私は次のように答えるであろう。それは、片恋というものであって、そうして、片恋というものこそ常に恋の最高の姿である」という一節です。ここで結論が「恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である」と語っていますが、男って単純なような難しいものだと思わされました。