『人間の条件』ハンナ・アーレント
タイトル買いです。私達を人間たらしめているものは何かと気になったのですが、私にとって内容が難解でした。もしかしたら、挫折してここに辿り着く人がいるかもしれないと思いながら記事を作りました。
- 作者: ハンナアレント,Hannah Arendt,志水速雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/10/01
- メディア: 文庫
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ハンナ・アーレント(1906~1975)
女性政治思想家。ドイツのユダヤ家庭で生まれる。
1.人間の条件 The Human Condition
=「人間」の生を制約しているもの、輪郭付けているもの?
「人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある。いいかえると、人間とは、自然のものであれ、人工的なものであれ、すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在である。」(p.237)
2.活動的生活 vita activa (p.19-20)
=「なにごとかを行なうことに積極的に係わっている場合の人間生活のこと」
労働 labor 人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力
生のためにあるもの?
仕事 work 人間存在の非自然性に対応する活動力
物のためにあるもの?
活動 action 物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力
他者のためにあるもの?
=アリストテレスのいう政治的生活 bios politikos の中世哲学における標準訳語
①肉体の快楽を享受する生活
②ポリスの問題に捧げられる生活
③永遠なる事物の探究と観照に捧げられる哲学者の生活
アウグスティヌスの場合 多忙な生活 vita negotiosa と精神的な生活 vita negotiosa
3.公的領域と私的領域
「公的領域」=「ポリス」の本質的な部分で、市民たちが「活動」を通してお互い影響を与え合い、「世界共通」を形成する場。「見せるべきもの」。
「私的領域」=それを裏から支える家族の領域で、生命維持のための営みがなされる場。生命活動と結び付いている。「隠されるべきもの」。
※古代の都市国家の終焉以降、そうした公/私の区分が次第に曖昧に。
※元々は家の内側、私的領域で営まれていたことが、「社会」全体、あるいは「国」全体を単位として営まれるようになった。「経済」概念の拡張。
「自由であるということは、生活の必要〔必然〕あるいは他人の命令に従属しないということに加えて、自分を命令する立場に置かないという、二つのことを意味した。」(p.53-54)
4.労働 labor
「労働」の本質⇒自然科学的な法則に従って自己再生産にある。
「労働」⇒「生命のリアリティ reality of life」
生命の強烈さから来る衝撃に由来する。瞬間的に感じられるので、「世界」の中でそれが記憶され、永続するということは前提としていない。むしろ、「苦痛の無世界性」の問題を生じさせる。つまりその人の「世界」に対する他の関心をかき消して、瞬間的にその刺激に集中させる。
「労働」――単純な生命過程であれば、別に達成すべき目標はない。ひたすら欲求のままに動くだけ。
「分業 division of labourc」
「労働」が「分化 divide」⇒「隠れた場所」から「公的領域」へと出て来ること
5.仕事 work
「仕事」の本質⇒生物界にはない新しい対象を作り出すことである。
「仕事」⇒「世界のリアリティ reality of the world」
自分が死んでからも共通世界が存続するので、自分がやったことは記憶され、無駄にならないであろうという信念。
「仕事」――「モデル」によって製作する、「労働」と決定的に異なる。
スミスやマルクスが「生産的労働」だけを重視したのは、「労働」を実は、「仕事」の観点で見ていたから?「仕事」は、「活動」の基盤となる人工物事物の世界を作り出す。それに対して、主人の「消費」を助けるだけの「非生産労働」は、単純な生命維持活動に近いわけなので、アーレントの本来の意味の「労働」に近い。
6.活動 work
・「始まり」としての活動が誕生という事実に対応し、出生という人間の条件の現実化であるとするならば、言論は、差異性の事実に対応し、同等者の間にあって差異ある唯一の存在として生きる、多様性という人間の条件の現実化である。
人間関係の「網の目 web」が存続しているおかげで、主体(=介在者自体)に実体がなくても、この「網の目」の中でリアリティを獲得する。
⇒「リアリティ」=俳優の演じているキャラクターのようなもの。人間関係の「網の目」の中で、各人がどのように見えるか、どういうキャラの人かは、ある程度間主観的に規定されている、ということ。その人をめぐる人間関係が視野に入っていれば、どういう人か分かる。逆に言えば、そういう関係性の文脈がなかったら、各人を代理する「介在者」はリアリティをなくし、正体不明になってしまう。
「公的領域につきものの平等というのは、必ず、等しくない者の平等のことであり、等しくないからこそ、これらの人びとは、ある点で、また特定の目的のために、『平等化される』必要があるのである。」(p.342)
[感想]
何かをやり遂げて死ぬことのかっこ良さを感じながら、労働に拘束されて生きていく虚しさ。公的領域が消滅した現在、誰にも自分のことを暴露することなく、働いて、寝てを繰り返して、死んでいく。ただ忙しさに埋没しないように、「仕事」にあたる読書をこれからも続けていこうと思いました・