きのみきのまま

女子大生の読書備忘録

『神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話―』なだいなだ

宗教の呪縛と、それからの解放が繰り返されてきたという。教義や信仰のあり方からではなく「信じる」ことを求めてしまう人間の方から、宗教とは何かを考えていき、社会、歴史まで問いを重ねてあります。

神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書)

神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話 (岩波新書)

なだいなだ(1929-)

東京生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。

1.信者にもいろいろある

「宗教は、その場合、信じる本人には、生まれた時から呼吸している空気のようなものなんだ」(p.17)

このように慣習から信者になる場合、家族のために名目上々宗教になるための入信、絶望感に襲われたときに自ら求めて入信する場合などがあるという。対話者は、哲学的にいくら結論を出しても、死ぬときはどうなんだろう、という不安はなくならないけれど、仲間といることで、孤独感が癒されたことから入信したという。

2.教義より重要なのは

「おれは誰かを求めていた。一緒に悩む誰かだったのだな」(p.52)

同じように不安を抱いている人間、絶望している人間が、他にもいる、と分かっただけで、気持ちが楽になる。人間の不安の根源は一人にされるという恐怖で、絶望は見放されたという感情と重なる。

3.狂いによって狂いを治す

「三大宗教は、生きた人間が作り出した」(p.133)

時々の狂気は部落社会の暴力の爆発を防いでいたという。部落社会にも狂気のコントロールのそれなりの工夫があり、暴力的で性的な放縦を含んだお祭りほど、成功するし長く続いてきた理由をそう説明する。

4.宗教は死なず拡散した

「孤独こそが現世の煉獄なのさ。人間はわれわれと呼べる仲間がほしい」(p.182)

宗教とは「孤独から人間を救い出し、一つにまとめるための原理」だと語る。著者は、自分たちの中にある宗教的狂気の危険を自覚させたいという思いから、民主主義も社会主義も宗教といい、なんでも宗教だと言う。

5.葦の髄から永遠をのぞく

「ニーチェが《神が死んだ》といったあとでは、宗教は今の言葉でいえば《脳死状態》のようなものだった」(p.191)

20世紀は、先進国では、神が消えた世紀だ。宗教から人類が解放された時代だった。神が死んでも宗教は死なない。人間の中に狂い続けたい気持ちがある限り宗教は死なないと述べる。

[感想]

かつて同僚であったカトリック信者の精神科医と、無神論者の精神科医が70歳を超えて再会し、宗教とは、精神医療とは、正気とは、狂気とは、について語り合いながら、徐々に人間精神を明らかにしてゆくという物語です。現代の精神医療と宗教に関するもので、振り返りながら精神史を振り返るところなんかとても勉強になりました。著者と対話者の宗教に関する考えの違いから、宗教に関する新しい発見が生まれてきてるところが面白かったです。ほとんどの人間が、宗教は生まれたときと死ぬときに、儀礼的にお世話になっています。昔から行われてきたことをただひたすら繰り返して、儀式の中に不安を冷凍してきたのだと思いました。