『〈西洋美術史を学ぶ〉ということ』高階秀爾 千足伸行 石鍋真澄
突然ですが、美術館に行くことありますか?私は美術館の企画展によく行きます。もちろん観るだけでも得られるものは大きいのですが、やっぱり前提知識があれば更に楽しめたなと毎度反省してしまいます。
- 作者: 高階秀爾,石鍋真澄,千足伸行,喜多崎親
- 出版社/メーカー: 三元社
- 発売日: 2014/12/01
- メディア: 単行本
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高階秀爾(1932~)
東京大学教養学部卒業後、大学院在学中にフランス政府招聘給費留学生としてフランスに留学。
千足伸行(1940~)
東京大学文学部卒業後、TBSを経て国立西洋美術館に勤務。
石鍋真澄(1949~)
東北大学大学院文学研究科修士課程を修了後、フィレンツェ大学に留学。文学博士。
日本で〈西洋美術史〉を学ぶ意味
「西洋美術史は、何の役に立つのでしょうか?」
ひとつは西洋、つまりわれわれにとって異文化であると同時に近代化を支えてきた文化に関わるという点、もうひとつはそれが美術、すなわち視覚を通して認識される物を対象とし、かつそれを言語化しなければならない点、そして最後に、それが歴史という枠組みで捉えられる点である。
- 石鍋先生「それ(美術作品)は文化でもあり文明であり、過去を知るための重要な手がかりで、時には歴史書や史料から学ぶよりももっと大きな実感として学ぶことができるのだと思います」(p.75)
- 高階先生「美術作品は放っておいても傷むし、うっかりすると壊れる、なくなる。美術品の保護・保存を考えることは美術史の重要な領域です」(p.81)
- 高階先生「複製であってもイメージとしての力がある。それは馬鹿にできない。われわれは時に本物でなくては話にならないと言いますけど、必ずしもそうではない。」(p.97)
美術は美術館で見るものだけでなく、都市や都市を形成している建築から、日常生活にあふれているいろいろな道具や装飾品まで美術品としてみることができるとのこと。
物として失われることを見越して代わりや模写を作る。《モナ・リザ》の模写はやたらとたくさんあって40以上あるらしい。
複製であってもイメージとしての力があり、もちろんオリジナルを見ることにこしたことはないが、それに囚われないものの見方をしてほしいとのこと。
[感想]
西洋美術史という名称には、少なくとも3つの要素が含まれていることが分かった。異文化を対象とし、それを理解すると同時に自らの文化的アイデンティティを作り上げ、またそれを相対化すること。美術作品という具体的なものを対象としながら、あくまでそれを言語化して捉えること。そして歴史として過去の人類の軌跡を評価すること。法学部に進んだからとって、法律に関する知識が直接役立つような職種に就く人はひと握りということを考えれば、このような疑問はどのジャンルでも大なり小なり同じように成り立つような気もします。