きのみきのまま

女子大生の読書備忘録

『〈運ぶヒト〉の人類学』川田順造

アフリカで生まれ、二足歩行を始めた人類は、空いた手で荷物を運び、世界にちらばっていった。この〈運ぶ〉という能力こそ、ヒトをヒトたらしめたのではないか?と人類学に新たな光を当てる冒険の書。

〈運ぶヒト〉の人類学 (岩波新書)

〈運ぶヒト〉の人類学 (岩波新書)

川田順造(1934~)

東京生まれ。東京大学教養学科文化人類学文科卒業。パリ第5大学民族学博士。

1.なぜ「運ぶヒト」か?

「ホモ・サピエンスが現代まで、世界に拡散して生きてこれたのも、アフリカを出るとき、立って歩き、自由になった両手を使って、最低限のものだったにせよ、新しい土地で生きてゆくのに必要な道具を、運ぶことができたからだ。」(p.3)

直立二足歩行のおかげで、私たちの直系の先祖は、わずかな荷物をもってアフリカを旅だった。アフリカ、ヨーロッパ、東アジアの三つの地点を比較対照し、〈運ぶ〉文化の展開と身体との関係を探っていく。

2.ヒトと道具――三つのモデル

ヒトと道具との関係を、以下の三つのモデルでとらえてみる。

  1. A=道具の脱人間化
  2. B=道具の人間化
  3. C=人間の道具化

「さまざまな指向性をもって、運搬法を工夫してきた『運ぶヒト』=ホモ・ポルターンスは、これからどこへ向かうのか。」(p.138)

フランス、日本、旧モシ王国という固有名詞をつけない三つのモデルとして、世界文化の視野で、実例にもとづく検討を重ねて修正しながら、より分析力の大きいモデルに精錬することを著者は目指す。

[感想]

筆者は「自分自身の身体を使って、身の丈に合ったものを運ぶという、ヒトの原点にあったはずのつつましさを思い出すこと」(p.170)を訴える。そして、「頭上運搬」が、今後アフリカ発でグローバル化されることを、ひそかに願う。ユニークな視点から人類学を考察していて、運び方に地域、文化、体型の差が現れるのが面白かった。写真や図表を使った叙述は、人類学への関心を掻き立てられるものだった。