『「死」の教科書―なぜ人を殺してはいけないか』産経新聞大阪社会部
本書の冒頭には「新聞は、なにか事があると、『命の大切さ』を訴える。校長先生は、なにか事があると『命の大切さ』を訴える。」とあります。タイトルとは裏腹に、社会問題について考えさせられました。
「死」の教科書―なぜ人を殺してはいけないか (扶桑社新書 20)
- 作者: 産経新聞大阪社会部
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2007/11/29
- メディア: 新書
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産経新聞大阪社会部
産経新聞(大阪本社発行版)に平成18年4月24日から19年6月19日まで掲載された長期連載「死を考える」に加筆し、再編成したもの。
1.なぜ人を殺してはいけないか
「そのような質問が出ること自体、わが国の社会は病んでいると言わざるをえない。」(p.17)
今の子供たちは自我が肥大化しすぎて創造力が欠けていて、自分が死ぬことなどありえないと考えているという。自分が見た世界しか知らない。自分の考えていることは、周りの人間も当然わかってくれるはず――。そうした感覚の背景にあるのが「全能感」と呼ばれるキーワードだという。
2.喪の作業――JR事故の遺族たち
「残された遺族は、事実を積み重ねることでしか死者を死者として認めることができない。」(p.61)
「突然の死」を突きつけられた人々は、その瞬間を看取っていない。現実すら整理できないあわただしさの中で、弔ったという感覚もない。JR事故の多くの遺族が、愛する人の「最期の乗車位置」にこだわるという記述に心うたれた。
3.償い――JR事故から二年
「愛する人の死を金に換える作業は、すさまじい葛藤を遺族の心に呼び起こす。」(p.99)
関西大名誉教授の亀井利明氏は「かけがえのないものの『あきらめ代』に過ぎないと思う」という。
4.「三万人」の叫び
「『三万人』の周りには、家族や親戚、友人ら、その数倍以上の人たちがいる。」(p.129)
最近では自殺者数は減ってきているけど、それでも少ないとはいえない。ロシアの小説家トルストイは「幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭は不幸の度合いを異にしている」と書いている。
5.死刑のある国
「『死刑』の意味は執行にあるのではなく、むしろその制度や過程にこそあるのではないか。」(p.196)
自らの死を今日か明日かと待ち続け、日々刑務官の靴音におびえながら暮らす。「死」を突きつけられて初めて、人は自らの人生を振り返ることができるのではないかという。
6.最期をどこで迎えますか
「無意味な延命措置は必要ないと考える人は各種世論調査で七割以上にのぼる。」(p.203)
私たちは、どこで人生を完成させるべきなのか。厚生労働省によれば、自宅で人生を終える人は平成十八年でわずか十二・二%。今や都会では、老衰などのごく自然な死でも自宅で死ねば警察の検視対象になりかねなく、当たり前の現象が異常事態として処理されてしまう。
[感想]
様々な角度から社会的な「死」について記述がある。「死」という概念を持つ動物は人間だけで、悲しみ、悩み、恐れ、それを乗り越えて生きていかねばならない。死を考えるのは、人間だからである。「なぜ人を殺してはいけないのか?」いくら考えても、このような本を読んだとしても答えは見つからない。でも、考える価値はある。向き合うことが大事なんだと思う。深く考えさせられたし、いろいろな人に読んでほしいと思った。